■ 書き下ろし小説『車之輔の辛抱』
アニメ化を記念して、なんと原作者の結城光流先生がスペシャル小説を書き下ろしてくださいました♪
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『車之輔の辛抱』
著:結城光流

 がらがらがら、と、響いていた輪の音がやんだ。
「車之輔っ」
 上簾(うわすだれ)をあげて飛び降りた昌浩は、轅(ながえ)をくぐって輪の前に回りこんだ。
「ん? どうした、昌浩」
 昌浩の慌てた様子を訝った物の怪が、少し遅れてあとを追う。
 牛車の妖(あやかし)車之輔は、片輪に鬼の顔が浮かんでいる。その顔が、かすかに歪んでいるのが見て取れた。
《どうした、車之輔》
《いえ、何も……》
《何も、という顔でもないだろう。どうした》
《いえ、本当に……》
 車之輔の輪の一部を、昌浩はしきりに気にしている。手で触れているその部分には、小さなひびが入っていた。
 先ほど異形を追っていた際に、大きな石に乗り上げた。そのとき妙な音がしたのを、昌浩の耳は聞き逃さなかった。それからずっと、回る輪の立てる音に妙な雑音が混じっていた。
「これって、俺の怪我みたいに治るのかな…」
 ひどく心配そうな昌浩の様子に、物の怪と車之輔は顔を見合わせた。
《……治るんだろう?》
《……だと、思います…が…》
 考えてみると、この世に生を受けてからこのかた、怪我なぞしたことがない。果たして、本当に治るのだろうか。
 考えているうちに心細くなった車之輔は、昌浩と物の怪を交互に見ながらおろおろと轅を揺らした。
《え、ええと、やつがれは、妖ですから、きっと、……たぶん…》
 異形は、何ごともなければ大抵は不死だ。
《まぁ、そうだろうな》
 頷く物の怪から車之輔は、心配そうな面持ちの昌浩に語りかける。
《ほ、ほら、ご主人。式神様もこのように仰せですし、やつがれ風情のためにお心を痛めたりされずとも。何、大したことなどございません、やつがれはこれでも妖ですから》
 真剣に訴える車之輔をじっと見ていた昌浩は、険しい顔で物の怪を顧みた。
「……もっくん」
「ん?」
「ごめん、車之輔がなんて言ってるのか、俺やっぱりわからない」
「……そうか、そうだよな」
 あまりにも真剣な顔で車之輔の言葉に耳を傾けていたように見えたから、通じているものだと勘違いしてしまったが、わからないから凝視していただけだったのか。
 車之輔ははっと目を見開いて、鬼の形相を悲しげに歪めると、大きな目から大きな涙をほたほたとこぼしはじめた。
《やつがれ風情のために、やつがれ風情のために、ご主人…っ》
「えっ!? 車之輔、痛いのか、大丈夫か!? ごめん、俺、妖の怪我とか、よくわからなくて」
《いいえ、ご主人は何も悪くなどない。やつがれが、やつがれが妖であることが悪いのです》
「もっくん、車之輔なんだって? どうしよう、薬草とか妖に効くのか?」
《いいえ、いいえ。やつがれはその優しいお心だけで。勿体のうございます、ご主人、やつがれはそのお言葉だけで…っ!》
「もっくん? ちょっと、聞いてる? 車之輔泣いてるよ、もっくんてばっ」
 ぎしぎしと揺れる轅の音とうろたえた昌浩の声を交互に聞きながら、物の怪は遠い目をしていた。
「妖の怪我を案じる陰陽師に、感涙にむせぶ鬼の形相、いやはや、実に珍しい光景だ…」
 それはさておき。
 気をもむ前に、なぁ昌浩よ。お前、自分の職業を思い出して快癒の禁厭を使えばいいというところに、なぜ行き着かんのだ。
「しっかりしてくれ、晴明の孫よ……」
 呟きまじりで深々とついた溜め息は、うろたえる昌浩とむせび泣く車之輔には、残念ながら届かなかった。
 
  
-- 完 --
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